ツチダのエンピツ

ペンは剣より強いので

好きなひとに想いを伝えるということ

高校に入学してすぐに、同じクラスにわたしのことを好きになった男子がいた。

 

とは言えわたしは、小学校高学年から中学卒業まで同学年の男子全員から避けられ罵られバイキン扱いされる日々を送っていたので、まさかわたしのことを好きになる男子がいるなどとは夢にも思わず、ただ「何かよくわたしに用事を持ちかけてくる男子だな」としか思っていませんでした。

それから数ヶ月経って、クラスメイトから「あの人はツチダのことが好きだったんだよ」と聞かされてようやく「ああ、なるほど」と思ったのでした。

三年生の時には、本人から「好きだったんだよね」と過去形で打ち明けられたりもしました。

 

高校卒業から十年以上経ってその男子と再会して、あの時ツチダのこと好きだったんだよねとまた言われた。

知ってるけど。

入学した日から、クラス内でひときわ目立っていて何でこんな学校にこんな子がいるのだと思ったと言われた。

 

そのひとに好かれるために、わたしは何もしてないのに。

好かれようとしなくても、好きになってくれるひとはいるのだと知った。

そのひとのことを恋愛対象として好きになることは、絶対にないのだけれど。

 

お察しの通り、ツチダは絶世の美女ではございません。

絶世の美女だったら告白されることなんて珍しくないから、こんな風にわざわざ書いたりしないのだ。 

この年まで独身だし、恋人と別れ一人の人生歩み始め早幾年。

好きなひとに決死の思いで気持ちを伝えたってお断りされる始末。

だからこそ、そうやって打ち明けられた想いを大事に抱えて生きてる。

 

 そのひとのことを恋愛対象として好きになることは、絶対にないのだけれど。

わたしが好かれようと振る舞ったわけでもないのに、好きになってくれるひとがいたという事実は、しばしばわたしを勇気づける。

 

  

去年の夏。

好きなひとに告白をした。

告白しようと心に決めて、告白するために呼び出して、気持ちを伝えた。

 

ふられた。

 

ふられた上に「こんな男のどこがいいんですか。」と言われて。

思いつく限り好きなところを箇条書きみたいに並べ立てたけど茶化されて終わりだった。

 

好きだと思うところ、言えば言うほど本当のことから離れていくようだった。

好きなところはたくさんある。

だけど、だから好きと言うわけじゃない。

好きなところが一個なくなっても、好きじゃなくなるわけじゃない。

あなたがあなただから好きで。

 

突き詰めていったら、

「初めて会った日から、何かわかんないけどすごく好きです。」ってことだった。本当は。

だけどそれが、言えなかった。

 

好きなひとはわたしのことを恋愛対象としては見ていないそうなので、わたしに好かれようと振る舞ったことはないのでしょう。

わたしに好かれようと振る舞ったわけではないのに、わたしが好きなひとを好きになったという事実が、好きなひとを勇気づけることはあるのでしょうか。