ツチダのエンピツ

ペンは剣より強いので

配られたカードで勝負するしかない

わたしの身体は、骨太である。

肩ががっちりしているし、指も太い。手の大きさに至っては一般成人男性とほとんど変わらず、わたしより手の大きい人に出会うことは稀だった。小柄な男性においてはわたしより手が小さいこともあるくらいで、手の大きさを比べるたびに「女と同じ大きさなんて!」或いは「女より小さいなんて!」と数多くの男性を嘆かせてきた。手の大きさくらいでそんなに嘆くな男ども、と思いつつもわたし自身も「なぜこんなにもわたしの手は大きいのだろう」とそのたびに落ち込むのでした。

 

華奢な身体の女性に憧れた。

若い頃は、自分の身体が華奢ではないのは太っているせいだと考え、せっせと減量に励んだものだけれど、どんなに痩せても華奢な身体にはなれなかった。痩せれば指は多少細くなるけれど、手の大きさは変わらないし、肩幅だって変わりはしない。

華奢な身体になれない自分を許せなかった。自分の身体を好きになれなかった。

 

どんなに望んでも、頑張っても、変えられるものと変えられないものがある。

わたしたちは、生まれる国も、親も選べない。どんな身体で生まれてくるか、どんな性質であるか、選べない。どんなカードゲームも、最初に配られた手札は受け入れるしかない。ゲームのルールや、配られたカードに不満を言っても仕方ない。最初にいい手札だったからといって、必ず勝てるとは限らないし、最初の手札からいかにいい手に持っていくかは腕の見せ所でもあり、楽しさでもあるだろう。

最初の手札は完全に運任せだけど、そこからは自分で考えて選ぶことができる。選択肢は限られているとしても。

 

人生は勝ち負けではない。しかし、自分で考えて選ぶことができる。変えていくことができる。

 

華奢な身体に憧れたけれど、骨格が違うから無理なんだと気づいてからは、似合う服を選ぶようにしている。無理に痩せようとするのもやめた。今は、自分の身体に愛着もある。骨格は変えられないけれど、何を理想とするかは変えられるし、自分の身体をどう思うかも自分次第だった。

ないものねだりすればキリがない。どんなに嘆いても、この身体で生きていくしかない。それなら愛着を持って、いいところを活かしながら大切にしていこうと思う。

 

「こうあるべき」という思い込みを手放せば、楽になれることはたくさんある。