自分は信じるに値する人間である
以前、こんなことを書きました。
歩行者用の信号が赤でも車が来なければ横断歩道を渡ってもよい
http://tsucd.hatenablog.com/entry/2015/11/17/210043
車が来なくても、歩行者用の信号が赤ならば、わたしは信号が変わるまで待つという話。
信号が赤なのに無理に渡って時間を節約するより、待つという行為をする方が心は豊かになると思うから。
どんなに小さなことでも、ルールを破ると罪悪感が生じるから。
その二つが赤信号を待つ理由だったのですが、最近、信号が変わるのを待っていたら思いついた。
信号を守ることは、自分は信じるに値する人間であることの証明かもしれないと。
世の中には法律がある。ルールがある。
誰も見ていないならいいじゃん、バレなきゃいいじゃん、と言ってそれを破る人たちはいる。
誰も見ていなくても自分は見ているんですよね。
誰も見ていなくても、自分は「自分が決まりに背いたこと」を知っている。
そうすると、自分で自分を信用できなくなるのではないか。
前に読んだ本には、これから行う動作を口に出してから実行することを続けていると目標が達成できるとあった。
例えば「水を飲む」と言ってから水を飲む。
「お風呂に入る」と言ってからお風呂に入る。
そうすると、無意識が「この人が言葉にしたことは必ず実行される」と覚え込む。
その上で、成し遂げたい大きな目標を口に出すと、無意識がそれが叶うように動き始めるとか。
自分の行動を無意識の自分は見ているし、知っている。
どちらも自分であるけれど、無意識は自分の思う通りには動かせない。
時に他人のように作用する。
結婚したい恋人が欲しいと思っていても、無意識で「一人の方が楽」と感じていたら、うまくいきそうなところでブレーキをかけてしまうことがあると思う。
他人に信用される人間を目指す前に、自分に信用される人間になろう。