水が半分入ったコップ
水が半分入ったコップがあります。
それを見てあなたは「もう半分しかない」と思うでしょうか。
「まだ半分ある」と思うでしょうか。
もう半分しかないと思うのはネガティブな考えをしやすい人、
まだ半分あると思うのはポジティブな考えをしやすい人、などとよく言われています。
同じもの、出来事でも見方を変えれば、それほど悲観的にならずに済むとか何とか。
けれど、真面目な人がポジティブになろうとすると、
見方を変えるというよりネガティブな考えはだめだと思い込んで、自分の気持ちを抑えつけて真逆に気持ちを持っていこうとする。
調子がわるい時でも「調子がわるいなんて思っちゃだめだ。わたしは元気」と言い聞かせてみたり、
いやだなあと感じても「いやだなんて思っちゃだめだ」と、考えてみたり。
苦手な人とも無理して仲良くしてみたり。
「こんな自分じゃだめだ。もっと頑張らなくちゃ」と急に無理をしてみたり。
無理をすると、後で反動が大きい。
自分らしくないことをして、自分の気持ちと真逆のことをして、
うまくいかなかったと落ち込む。
最初はその波は小さくて済むけれど、だんだん大きくなって手に負えなくなる。
立ち直るのに時間がかかるようになる。
自分の気持ちに蓋をして、真逆のことを自分の気持ちだと考えようとするのは、ポジティブでも何でもない。
自分を騙しているだけ。
水は半分入ったコップを見て「水が溢れそうなほど入っている」と言うようなものだから。
ネガティブな考えを持ってもいい。
否定すればするほど、大きくなっていつか自分を呑み込んでしまう。
ネガティブな考えを持った自分を否定しないことは大事。
自分の気持ちを認めた上で、他の見方ができないか落ち着いて考える。
否定して、逆の考えを自分に強いるのは、曲がった枝を力任せに曲げようとするようなもの。
無理な力を掛ければ折れてしまう。
違う方向に曲げる必要があるなら、時間を掛けて矯めればいい。
そのままでも意外と風情があっていいかもしれない。
わたしは「水が半分入っているな」と思う人間でありたいな。
ポジティブだろうとネガティブだろうと、フィルターをかけて見ることだから。
主観を交えずに、事実を捉えられる人間になりたい。
無理にポジティブになる必要はない。