誰からも嫌われない人間は、誰からも好かれない人間
人間には、向き不向きがある。
それぞれ得意なこと、不得意なことがある。
どんなに頑張っても、どうしたってできないことがある。
頑張ったらできるけど、続けるのがつらいことがある。
みんながみんな、向いていること、得意なことを仕事にできたらいいのにな。
いつの間にか「誰からも嫌われない人間」の枠が世間にはびこっている。
みんな「誰からも嫌われない人間」の枠に自分をあてはめようと取り繕う。
個性をころして、模範解答を狙う。
そういう人間を求めているのは、他人を手駒にしたい人間。
利用されておしまい。
「お金をたくさん稼ぎなさい」
「安定している仕事にしなさい」
「冒険はせずに失敗の少ない道を選びなさい」
誰かにはっきりと言われたわけではない。
誰に強いられたわけでもない。
でも、それが正しい道なのだと思った。
きっと、少しずつ刷り込まれた結果。
生活できるお金を手に入れることは大事。
大事だけど、お金をたくさん手に入れることが一番ではない。
将来のことなんてわからないのに、どうして安定している仕事だと断言できるのだろう。
何が失敗だったかなんて、後にならないとわからないのに。
人間同士にも、向き不向きがある。
どうしたってわかり合えない人もいる。
好かれたくて頑張っても、好かれないことがある。
嫌われたくないと無理をしても、嫌われてしまうことがある。
あんまり好きじゃないなあと思っている人からは、好かれてしまったりする。
自分みたいな人間ではなくこういう人間の方が好かれるにちがいない、と思って存在もしない「誰からも嫌われない人間」を演じようとすると自分らしさがかき消されちゃうんじゃないかな。
誰からも嫌われない人間は、誰からも好かれない人間。
誰からも嫌われない人間なんていないし、
誰からも好かれない人間もいない。
長所と短所は紙一重だし、
頑固なところが嫌だと離れていった友人がいたとしても、
その芯の強いところが好きだと信頼してくれる友人もいる。
自分が心の中で何を考えていても、他人にはわからない。
他人は、行動から気持ちを推し量ることしかできない。
自分の気持ちに素直に行動していない人は、相手にうまく気持ちが伝わらない。
だから、好きなひとから好かれなかったり、好きじゃないひとから好かれたりする。
「あの人はこう言っているけど、これまでの行動を考えると本心とは思えない」
そんな印象を与えてしまう。
何も嫌いな人に面と向かって嫌いと言うのがいいということじゃなくて。
一緒にいるのがつらいなら、疎遠になるのも選択の一つで、
自分だけが我慢すればいいなんて考えは、捨てていいんだよ。
自分がいい気分でいられる状態を維持できるように。
そういう選択を積み重ねていけばいいと思うんだよ。
他人のことを思いやり過ぎて、我慢をし続けてきた人たちは、そのやさしさを自分にも向けてあげてね。
他人にはきつい言葉を投げかけないよう気をつけているのに、
自分自身にはずいぶんひどい言葉をぶつけているでしょう。
他人にやさしくできる人なら、自分にもやさしくできる。
聖書に「隣人を愛せよ」とあるけれど、
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」なんだよね。
まずは自分にやさしくしなくちゃならないと思う。
自分の人生だからね。