もったいないに隠された損したくない気持ち
「このまま捨てるのもったいないから何かに使えないかな」という言葉を聞く虫酸が走る。
このまま捨てるのがもったいないとされる物は大体、お菓子の空き箱だったりする。
箱や包装は、移動中に商品を保護し店頭で存在を主張するためのものだ。
贈答用の包装であれば、正式な訪問であることや誠意を込めた贈り物であることを示したり、商品を高級に見せる役割もある。
中身を消費した時点で容器は役割を終えている。
目的地に到着した時点で役割を終えていると言ってもいい。
それをまだ何かに使おうとするのか。
死者に鞭打つようなものじゃないか。
例えば物に命があるとして。生まれかわりがあるとして。
既に寿命は尽きているのに、本来の役割ではないことを押し付けられて使いづらいと文句を言われるようなものですよ。
既に寿命は尽きているのに、まだ何かの役に立つと暗い押し入れに仕舞い込まれた挙げ句その存在を忘れ去られ、自ら命を絶つこともできず転生することも叶わないんですよ。
買ってからあまり袖を通していない服。
衝動買いしたもののあまり使わなかった小物。
「ほとんど使ってないから新品同様だし、捨てるのはもったいない」
「この服、あまり着てないんだけど捨てるのはもったいないからもらってくれない?」
物を捨てる時、脳が痛みを感じる、らしい。
脳の痛みとかよくわからないけど、壊れたわけでもないものを捨てるのには多少なりとも罪悪感がともなう。
「これあげる。いらなかったら捨ててもいいから」という言葉は、自分が物を捨てる痛みを味わいたくなくて他人に押し付けているだけ。
いらなかったら捨ててもいいと思うような物なら、最初から自分の手で捨てればいい。
物を粗末にしてはいけません。
まだ使えるのに捨ててしまうなんてもったいない。
そんな言葉たちが一人歩きして、不要なものを捨てようとする時さえ心を苛む。
物を大切にする心は尊い。
リサイクル万歳。活かせば資源、捨てればゴミ。限りある資源を大切に使いましょう。資源ゴミは資源ゴミ回収の日に出しましょう。
元の形と変わってしまう再利用ももちろんある。
廃材を利用した家具や、捨てられるはずだった布を活かしたカバンもあるらしい。
元の素材を活かした再利用も素晴らしいこと。
だけど、ただ自分が損したくないという気持ちで発する「もったいない」という言葉の多さ。
「もったいない」とか「エコじゃない」という言葉は大概「それを捨てたら自分が損する」「それは自分が損するから」という言葉に置き換えられる。
「堅実」と「ケチ」が違うように「物を大切にすること」と「何でも捨てないこと」は違う。
物を捨てる時にもったいないと言うのではなくて、
最初から捨てるようなものを買わないのが物を大切にすること。
捨てるはずだった物を無理矢理使うより、きちんと目的にあったものを新たに買い求める方が使い勝手がよくて快適なことは意外なほど多い。
家の中に不要な物が溢れているのなら「そのうちオークションに出そう」「そのうちフリーマーケットに出そう」「誰かにあげよう」などと考えないで、自分の手で捨てて痛みを知ることだよ。
自分の手で捨てて痛みを知ったのなら、物を買う時に慎重になります。
そのうちっていつですか?
誰かって誰ですか?